紙幣の記番号
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現在、紙幣には1枚1枚固有の記番号がつけられています。 昔はどうだったのでしょうか。
■ 江戸時代
記番号の起源は古く、すでに江戸時代の藩札にもみられます。
右は、摂津尼崎藩が安永6年(1777)に発行した銀10匁札です。 裏面に「ま壱万七千九百弐拾弐(ま17922)」と墨書きで書かれています。 1枚1枚、手書きで番号を書いたのです。
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明治通宝札の記番号 (明治5年発行)
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大黒紙幣の記番号 (明治18年発行)
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■ 明治時代
明治になると、さすがに機械式で番号が印刷されるようになりました。
このころの記番号は、かな文字や漢数字で書かれています。 しかも、右から左へ読む数字です。
■ 終戦直後
右は終戦直後に発行された1円札です。 111526の番号が書かれていますが、この頃の低額紙幣の番号は1枚1枚固有の番号ではありません。 製造番号の一種です。
先頭の1は、これが日本銀行券であることを示す符帳です。(政府紙幣のときは2)
末尾の2桁は、印刷工場を表す番号です。
12 滝野川(東京都北区)
13 板橋
15 小石川(東京都文京区)
16 王子(東京都北区)
22 酒匂(小田原市)
26 小田原
32 静岡
42 彦根
44 榎町(東京都新宿区)
その中間の1~4桁は組番号と呼ばれる数字です。 1つの組番号で500万枚が製造されたそうですから、全く同じ番号の1円札が500万枚あることになります。
■ 現代(日銀券B号~E号;聖徳太子から福沢諭吉まで)
現在発行されている紙幣の記番号のつけ方は、次の通りです。
・先頭はスペースまたはアルファベット。
ただし、IとOは1と0と間違えやすいので除く。
・次はアルファベット(ここでもIとOは除く)。
・次は6桁の数字。
ただし全てあるわけではなく、000001~900000の90万個。
・最後は再びアルファベット(ここでもIとOは除く)。
そうすると、全ての組合わせは、25×24×90万×24=129億6000万 とおりになります。
全ての組合わせを使い切ってしまうと、色をかえます。 これまで最も色をかえたのは先代の夏目漱石の千円札で、黒色⇒青色⇒褐色⇒暗緑色の4色を使いました。 下がその変遷表です。
初発行年月 | イメージ | 色 | 発行枚数 | 印刷所
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昭和59年11月 (1984) |  | 黒色 | 129億6000万枚 | 大蔵省印刷局
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平成2年11月 (1990) |  | 青色 | 58億3290万枚 | 大蔵省印刷局
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平成5年12月 (1993) |  | 褐色 | 129億6000万枚 | 大蔵省印刷局
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平成12年4月 (2000) |  | 暗緑色 | 65億6710万枚 | 大蔵省印刷局 財務省印刷局 国立印刷局
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平成16年11月 (2004) | これより野口英世札となる | | 夏目漱石札の総発行枚数: 383億2000万枚 |
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20年間で383億枚(38兆円)も発行しています。
1984年11月時点での千円札(殆ど伊藤博文札)の流通枚数は、19.3億枚。
2004年11月時点での千円札(殆ど夏目漱石札)の流通枚数は、34.7億枚。 (以上、日銀統計より)
この20年間に383億枚印刷したはずなのに、流通枚数は15.4億枚しか増えていません。 大半が流通後数年で破棄されたのです。 千円札は通常流通1~2年で破棄されるそうです。
■ 日銀券F号(渋沢栄一ら)
上の記番号のルールは、昭和25年の日銀券B号以来変わることはありませんでした。 しかし、令和6年の日銀券F号になってこのルールが改められました。
・先頭は2桁のアルファベット。
ただし、IとOは1と0と間違えやすいので除く。
・次は6桁の数字。
ただし全てあるわけではなく、000001~900000の90万個。
・最後は再び2桁のアルファベット(ここでもIとOは除く)。
そうすると、全ての組合わせは、24×24×90万×24×24=2985億9840万 とおりになります。 E号券までの23倍くらいになります。 今度は色替えをする必要はなさそうです。
2023.2.13 2024.7.4改訂

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