日本の「絵銭」


 「絵銭」とは、銭の形をしているが貨幣(通貨)ではないものです。
 何かのお祝い用に、お寺や神社のお守りに、子どもの遊び用になど、いろんな目的で作られたものです。
 最も古いものでは、和同開珎の時代に作られた富本銭も絵銭の一種です(富本銭は絵銭ではなく貨幣だとの説もあります)。 しかし多く作られたのは江戸時代になってからです。
 通貨にするという制約がないものですから、デザイン、大きさ、材質(銅製が多い)などは様々です。 そのため非常に豊かな表情をして、我々を楽しませてくれます。 民芸品という文化遺産として鑑賞したいものです。
 これらの古来からの絵銭は、ある程度まとまって専門の工房で作られたものも多いです。 同じ工房では似通った絵銭がつくられます。 そのいくつかを紹介します。

●「浅間銭」 - 恵比寿
    
浅間銭・恵比寿 39.4g 径42.6mm 厚4.2mm


 裏面は噴煙を立ち上げている火山です。 この山をかつては浅間山だとして、「浅間銭(あさません)」と呼んでいました。 しかし、後になってこの山は富士山だろう、そしてそこに浅間神社(せんげんじんじゃ)があるので、「浅間銭(せんげんせん)」が正しいのではないか、との説も出てきたのですが、今では山は富士山で、絵銭の読み方は「あさません」で落ち着いているそうです。
 表面は、大黒さん、南蛮人、橋合戦などがありますが、右の絵銭は恵比寿さんです。 右手に釣り竿を持っています。 ふくよかな恵比寿さんを、カンバスいっぱいに、なめらかな曲線と凹凸で描いた秀作です。
 (なお、火山の方が表面との説もあります)

●「穴一銭」 - 釣り恵比寿/橋合戦
    
穴一銭・恵比寿 12.3g 径24.9×26.5mm 厚3.8mm
    
穴一銭・橋合戦 15.5g 径25.0mm 厚4.2mm


 分厚い穴銭で、裏面に「一」があることから、この工房で作られた絵銭は「穴一銭」と呼ばれています。
 この工房では、デザインや大きさの異なった沢山の種類の絵銭が作られています。 いずれも分厚い銅銭です。 通常背面に「一」がありますが、無背のものもあります。

 右上は恵比寿さんが釣りをしている図柄です。 「釣り恵比寿」と名付けられています。 背には「一」が書かれています。 どういうわけか円形でなく、すこし楕円形です。

 右下は橋の上でふたりの武者が争っている図柄です。 「橋合戦」と名付けられています。 ふたりの武者は牛若丸と弁慶です(異説もあります)。
  

●「鏡屋銭」 - 三保の松原
    
鏡屋銭・三保の松原 8.9g 径25.8mm 厚2.3mm


 京都の鏡屋の職人が、鏡の製造の過程で余剰する銅を元に、子供の玩具として作ったものです。
 白銅質の材質で、穴の形は円形、裏面は鏡のように平坦(背夷慢)なのが特徴です。 石蹴り遊びに向いています。
 やや大きめのものもありますが、簡単な文字や家紋のような絵柄のデザインが多いです。 右の絵銭は富士山と三保の松原です。

    
紋切銭・轡銭 3.9g 径18.8mm 厚1.7mm
●「紋切銭」 - 轡(くつわ)銭

 関西方面で、箪笥や引き出しの把手などを作る職人が作ったものとされています。
 比較的小さな真鍮質の平板に毛彫りで模様や家紋の彫刻を施したものです。
 右は「轡紋(くつわもん)」です。 小さな絵銭です。

●「蕪手銭」 - 蕪(かぶ/かぶら)
    
蕪手銭・蕪 9.1g 径25.6mm 厚2.6mm


 この手の絵銭は、やや厚肉の銅銭で、裏面の外輪と内郭が広い(背濶縁・背広郭)のが特徴です。
 右の絵銭には数個の蕪が並んでいます。 子供の絵かと思いきや、狩野探幽の下絵という言い伝えがあるそうです。
 この手の絵銭には、橋合戦や大黒さんなどの図柄もありますが、この蕪の図柄を代表として「蕪手銭」と名付けられています。

●「仙台銭」 - 瓢箪駒曳寛永
  
仙台銭・瓢箪駒曳寛永 4.3g 径23.5mm 厚1.5mm


  
 江戸時代の寛永通宝は、全国数十箇所で鋳造されました。 製造所は「銭座」と呼ばれました。 銭座の職人たちが絵銭を作ることがありました。
 寛永14年(1637)に仙台に銭座が設置され、寛永通宝を発行しました。 その銭座で作られたのが右の絵銭です。
 表 面はその銭座で鋳造された寛永通宝で、古銭家が「古寛永・仙台跛宝」と分類しているものです。 銭を詳しくみてみると、銭座が所有する母銭を直接利用して鋳造したようです。 銭座の関係者でなければできないことです。
 裏面は駒疋。 曳いているのは僧侶でしょうか。 駒の後ろには大きな瓢箪(ひょうたん)が書かれています。 表面とは対照的に愉快なデザインです。

●「吉田銭」 - 吉田牛曳
    
吉田牛曳 4.1g 径25.2mm 厚1.3mm


 三河吉田では、寛永14年(1637)に銭座が設置され、寛永通宝を発行しました。
 右の絵銭は、その銭座で作られたもので、背面が寛永通宝のそれと極めて近似しています。 人物と牛のユーモラスな表情、文字と絵の絶妙のバランス、デザイナーに拍手です。

●「大迫銭」 - 猿駒曳(大形鉄銭)
   
大迫銭・猿駒曳 63.8g 径64.1mm 厚3.4mm


 南部藩は鉄の生産が盛んで、幕末には大量の鉄銭を発行しています。 慶応2年(1866)に大迫(おおはさま;現花巻市))にも銭座が設置されました。
 右の絵銭は、その銭座で作られたもので、大形の鉄銭です。 表面は駒疋ですが、曳いているのは人間ではなく猿です。
 裏面は、寛永当四銭の裏面の青海波で、上に地名の一部の「大」を書いています。
 銭座の支配人が個人的に作成し、周囲の人へ贈答したものが由来だそうです。

● その他

 日本の絵銭は、細かい差異を除くと2000種類以上あるとされます。 しかし上のように、その出自が分っているものは少数で、大半は分っていません。 出自不明品の中にも味わい深いものが多数あります。 以下にいくつか紹介します。

「松梅天神」
    
松梅天神 5.0g 径25.2mm 厚1.4mm


 松と梅の下に天神さまが座しておられます。 まるで花見をしながらお酒をのんでいる天神さまです。 のどかで平和な日本の春です。 裏面に「北野」と書かれたものもあります。
 奥羽南部地方など、全国各地で作られた絵銭です。


「和同鍵枡(かぎます)」
    
和同鍵枡 4.9g 径24.5mm 厚1.2mm


 絵銭の銭文には、「和同開珎」やその類似名がよく使われています。
 右の絵銭は「開珎」の代わりに枡(升)と鍵(鈎)を配しています。 お金持ちの米倉を連想させます。

「寶字駒」
    
寶字駒 9.0g 径26.8mm 厚2.4mm


 駒曳は、絵銭にはしばしば登場するモチーフです。 右の絵銭の曳き手は頭の後ろの髪を束ねているので、「唐人駒曳」とも呼ばれています。
 裏面には「寶(宝)」の1字が書かれています。 よく見る絵銭です。

面子(めんこ)銭
    
面子銭 4.2g 径22.9mm 厚1.2mm


 江戸時代、子供たちの面子遊びや石蹴り遊びが盛んでした。 遊びは子供だけでなく、大人もしました。 この遊び用に作られた絵銭があります。
 何度も何度も遊びに使われると両面に傷がついたり、すり減ったりします。 右の銭もお念仏の「南無妙法蓮華経」と書かれていたはずなのですが、全く読めないくらいにすり減っています。 ただし、面子遊びでは表裏の面に打ち傷がつきやすく、石蹴り遊びではすり減る傾向があるので、右の絵銭は石蹴りに使われた可能性が大なのですが、一般的に「面子銭」と呼ばれています。
 面子遊びに使われた金属製の絵銭は、その後土製(泥面子)になり、さらに明治になって鉛製、さらに紙製になり、昭和30年代まで続きました。 関西では「ベッタン」と呼ばれていました。



 絵銭は、現代でも作られています。 神社やお寺のお守り、建物の上棟銭、観光地のお土産品などとして作られています。 「福銭」と呼ばれることもあります。
 また、日本だけでなく中国や朝鮮でも作られました。 中国では「花銭」・「吉語銭」、朝鮮では「別銭」と呼ばれているそうです。

2025.12.27